このシャコンヌは本来1720年、ヨハン・セバスティアン・バッハがドイツのケーテンで作曲した全5曲から成る独奏バイオリンのためのパルティータ第2番の終曲である。このシャコンヌは冒頭8小節のテーマおよび29の変奏から成り、第1部(1~15変奏)はニ短調、第2部(16~24変奏)はニ長調、第3部(25~29変奏)はニ短調で書かれている。演奏時間は約15分と長大で独立した曲として演奏されることも珍しくない。この「シャコンヌ」はバッハの作曲後150年以上も経った後、イタリアの作曲家/ピアニストであったフェルッチョ・ブゾーニが1897年頃ピアノ独奏用に編曲したものである。
実は、このブゾーニの編曲はあまり好きではなかった。原曲との雰囲気があまりにも異なるのである。もちろん楽器が異なるのである程度の犠牲は仕方がないと思うが、何せ一体全体19世紀のロマン派ヴィルトゥオーゾの世界であり、バイオリン原曲の厳かで慎み深い音色が皆無なのである。こうなると単なるピアノ編曲として聞くよりは別の曲として聞いたほうが掴みやすいのではないかと思ったくらいである。
しかし、よく聞き直して見ると、この派手なロマン派ヴィルトゥオーゾの世界の奥底のほうに「命の尊さ」や「神への信仰」といったような16世紀の感触が聞こえてくる。これは普段バッハを聞いているときに感じるものと同じものであり、ブゾーニ自身が単なる見世物として編曲をしたのではなく、バッハのこの曲に対して最大限の敬意を払っていたことがわかる。表面上はまったく異なるように聞こえるけど、音の奥底にある本質的に部分にバッハの精神を感じるのである。このことに最初に気づかせてくれたのがこのミケランジェリ版である。
実はこのミケランジェリの録音は数種類あり、そのうちの3種類を持っている。一番古いものは1942年録音、新しいものでは1973年録音。それぞれ微妙に趣が異なるが音質、技巧的に最も安定しているのが1955年のワルシャワライブであろう。これはショパンコンクール(アシュケナージやフーツォンが入賞した年)のオープニングで開かれた演奏会のライブ録音である。神憑り的な超絶技巧に加え恐ろしいほどに正確で冷酷さも覗かせる技巧から無情に迫り来る受難の場面を彷彿とさせる。こんなものをコンクール受験前に目の前で聞かされたら受験者たち皆身がすくんでしまうのではないか?
この演奏の隠れた聞き所は最後の257小節後半から始まるローバスの 二・ハ・ロ・イ・ト と下降していく音型である。実はミケランジェリは最後のト音を普通のピアノには無い下二点と音を弾いている。ベーゼンドルファー・インペリアルのみが持つ特別な音である。ミケランジェリはこれにより地獄の底から響いているかのような深い音を出している。こうすることで対照的に、最後のニ長調の和音が天からもたらされた希望の光のごとく響くのである。
惜しいことに近年の経済事情を反映してか、一部の愛好家にしか好まれないような古い録音のCDが最近次々と廃盤になっている。以前だと、少し待てば再販されることが多かったが今はそれすら怪しくなってしまっている。つまり、万人に受け、売れ行きが見込まれるものだけが残っていくという少し寂しい時代になってしまったのではないか思う。このミケランジェリ版もすでに廃盤で現在は入手が困難な状態が続いているという。
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