ラフマニノフ・ピアノ協奏曲 第2番
エフゲニー・キーシン(p) ヴァレリー・ゲルギエフ(Cond) ロンドン交響楽団 1988年録音
このCDは、おそらく私がはじめて聴いたラフマニノフ・ピアノ協奏曲だと思う。1988年の録音ということなのでまだキーシンが17歳頃の録音だろうか。このキーシンの録音に始まって、アシュケナージ、リヒテル、ワイセンベルク、他にもたくさんの人の演奏を聞いた。どれも本当に哀愁漂うロマンティシズムが魅力的だった。最近ではラン・ランやユジャ・ワンの演奏もクールで印象的だった。
このキーシンの演奏はまだ出来たばかりの図書館からCDを借りてきて本当に何回も聞いた。その頃キーシンといえば「ソビエト」の天才少年として日本に来日し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾いたりして、一種の天才少年ピアニストブームの先駆けだったような気がする。私も当時、ピアニストにあこがれてショパンの難曲に果敢に挑戦してみたり、憧れのピアノのある生活を思いうかべたりしていた。それから30年余りが経って当時の天才少年のほとんどはすっかり顔を見せなくなってしまったようだけどキーシンだけは立派に生き残っている。
実はこの演奏、ついこの間、私が20年ぶりくらいに聞いてみてただ単に感銘を受けただけではなく、上記のような懐かしい思い出まで一緒によみがえらせてくれた。この演奏は私が学生だった頃の思い出の1ページである。
My Music World
2020年5月5日火曜日
2012年8月2日木曜日
ミケランジェリのバッハ=ブゾーニ「シャコンヌ」 1955 ワルシャワ・ライブ

このシャコンヌは本来1720年、ヨハン・セバスティアン・バッハがドイツのケーテンで作曲した全5曲から成る独奏バイオリンのためのパルティータ第2番の終曲である。このシャコンヌは冒頭8小節のテーマおよび29の変奏から成り、第1部(1~15変奏)はニ短調、第2部(16~24変奏)はニ長調、第3部(25~29変奏)はニ短調で書かれている。演奏時間は約15分と長大で独立した曲として演奏されることも珍しくない。この「シャコンヌ」はバッハの作曲後150年以上も経った後、イタリアの作曲家/ピアニストであったフェルッチョ・ブゾーニが1897年頃ピアノ独奏用に編曲したものである。
実は、このブゾーニの編曲はあまり好きではなかった。原曲との雰囲気があまりにも異なるのである。もちろん楽器が異なるのである程度の犠牲は仕方がないと思うが、何せ一体全体19世紀のロマン派ヴィルトゥオーゾの世界であり、バイオリン原曲の厳かで慎み深い音色が皆無なのである。こうなると単なるピアノ編曲として聞くよりは別の曲として聞いたほうが掴みやすいのではないかと思ったくらいである。
しかし、よく聞き直して見ると、この派手なロマン派ヴィルトゥオーゾの世界の奥底のほうに「命の尊さ」や「神への信仰」といったような16世紀の感触が聞こえてくる。これは普段バッハを聞いているときに感じるものと同じものであり、ブゾーニ自身が単なる見世物として編曲をしたのではなく、バッハのこの曲に対して最大限の敬意を払っていたことがわかる。表面上はまったく異なるように聞こえるけど、音の奥底にある本質的に部分にバッハの精神を感じるのである。このことに最初に気づかせてくれたのがこのミケランジェリ版である。
実はこのミケランジェリの録音は数種類あり、そのうちの3種類を持っている。一番古いものは1942年録音、新しいものでは1973年録音。それぞれ微妙に趣が異なるが音質、技巧的に最も安定しているのが1955年のワルシャワライブであろう。これはショパンコンクール(アシュケナージやフーツォンが入賞した年)のオープニングで開かれた演奏会のライブ録音である。神憑り的な超絶技巧に加え恐ろしいほどに正確で冷酷さも覗かせる技巧から無情に迫り来る受難の場面を彷彿とさせる。こんなものをコンクール受験前に目の前で聞かされたら受験者たち皆身がすくんでしまうのではないか?
この演奏の隠れた聞き所は最後の257小節後半から始まるローバスの 二・ハ・ロ・イ・ト と下降していく音型である。実はミケランジェリは最後のト音を普通のピアノには無い下二点と音を弾いている。ベーゼンドルファー・インペリアルのみが持つ特別な音である。ミケランジェリはこれにより地獄の底から響いているかのような深い音を出している。こうすることで対照的に、最後のニ長調の和音が天からもたらされた希望の光のごとく響くのである。
惜しいことに近年の経済事情を反映してか、一部の愛好家にしか好まれないような古い録音のCDが最近次々と廃盤になっている。以前だと、少し待てば再販されることが多かったが今はそれすら怪しくなってしまっている。つまり、万人に受け、売れ行きが見込まれるものだけが残っていくという少し寂しい時代になってしまったのではないか思う。このミケランジェリ版もすでに廃盤で現在は入手が困難な状態が続いているという。
このシャコンヌは本来1720年、ヨハン・セバスティアン・バッハがドイツのケーテンで作曲した全5曲から成る独奏バイオリンのためのパルティータ第2番の終曲である。このシャコンヌは冒頭8小節のテーマおよび29の変奏から成り、第1部(1~15変奏)はニ短調、第2部(16~24変奏)はニ長調、第3部(25~29変奏)はニ短調で書かれている。演奏時間は約15分と長大で独立した曲として演奏されることも珍しくない。この「シャコンヌ」はバッハの作曲後150年以上も経った後、イタリアの作曲家/ピアニストであったフェルッチョ・ブゾーニが1897年頃ピアノ独奏用に編曲したものである。
実は、このブゾーニの編曲はあまり好きではなかった。原曲との雰囲気があまりにも異なるのである。もちろん楽器が異なるのである程度の犠牲は仕方がないと思うが、何せ一体全体19世紀のロマン派ヴィルトゥオーゾの世界であり、バイオリン原曲の厳かで慎み深い音色が皆無なのである。こうなると単なるピアノ編曲として聞くよりは別の曲として聞いたほうが掴みやすいのではないかと思ったくらいである。
しかし、よく聞き直して見ると、この派手なロマン派ヴィルトゥオーゾの世界の奥底のほうに「命の尊さ」や「神への信仰」といったような16世紀の感触が聞こえてくる。これは普段バッハを聞いているときに感じるものと同じものであり、ブゾーニ自身が単なる見世物として編曲をしたのではなく、バッハのこの曲に対して最大限の敬意を払っていたことがわかる。表面上はまったく異なるように聞こえるけど、音の奥底にある本質的に部分にバッハの精神を感じるのである。このことに最初に気づかせてくれたのがこのミケランジェリ版である。
実はこのミケランジェリの録音は数種類あり、そのうちの3種類を持っている。一番古いものは1942年録音、新しいものでは1973年録音。それぞれ微妙に趣が異なるが音質、技巧的に最も安定しているのが1955年のワルシャワライブであろう。これはショパンコンクール(アシュケナージやフーツォンが入賞した年)のオープニングで開かれた演奏会のライブ録音である。神憑り的な超絶技巧に加え恐ろしいほどに正確で冷酷さも覗かせる技巧から無情に迫り来る受難の場面を彷彿とさせる。こんなものをコンクール受験前に目の前で聞かされたら受験者たち皆身がすくんでしまうのではないか?
この演奏の隠れた聞き所は最後の257小節後半から始まるローバスの 二・ハ・ロ・イ・ト と下降していく音型である。実はミケランジェリは最後のト音を普通のピアノには無い下二点と音を弾いている。ベーゼンドルファー・インペリアルのみが持つ特別な音である。ミケランジェリはこれにより地獄の底から響いているかのような深い音を出している。こうすることで対照的に、最後のニ長調の和音が天からもたらされた希望の光のごとく響くのである。
惜しいことに近年の経済事情を反映してか、一部の愛好家にしか好まれないような古い録音のCDが最近次々と廃盤になっている。以前だと、少し待てば再販されることが多かったが今はそれすら怪しくなってしまっている。つまり、万人に受け、売れ行きが見込まれるものだけが残っていくという少し寂しい時代になってしまったのではないか思う。このミケランジェリ版もすでに廃盤で現在は入手が困難な状態が続いているという。
2012年7月15日日曜日
想定外の名演:チャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調
アンドラーシュ・シフ LONDON F-35L-20077
演奏家には傾向というか、その人の嗜好から演奏レパートリーが年をとるにつれ自然と限定されてくるものではないかと思う。たとえば、長年ベートーベンなどの古典音楽を専門に研究し、演奏している人がある日突然ショパンを弾く。このようなことは律儀なクラッシックの世界では普通起こらない。古典とロマン派はスタイルや演奏法が違うとかいう以前に世界が違うのである。
名ピアニスト、アルフレート・ブレンデルが以前こう語っていたのを思い出す。「私は若い頃、独墺系かショパンのスペシャリストのどちらになるべきか悩みました。それぞれ私が心から敬愛し、生涯をかけて取り組む価値があるすばらしい分野なのですが、どうしても感覚的に共有できない要素があり、このような決断を自分自身に課したのです。難しい選択だったのですが、結局、独墺系の音楽と共に歩んでいくことに決めました。」
前置きが長くなったが、アンドラーシュ・シフは1953年生まれ、ハンガリー出身のピアニストおよび指揮者。1980年にイギリスのDECCAにモーツァルトのピアノソナタ全集を録音し、若々しく颯爽とした名演で世に知られるようになった。そして、バッハ全集やシューベルトのピアノ・ソナタ全集などの録音で名声を確固たるものとした。近年はECMに録音したベートーベンのピアノ・ソナタ全集は作品の真髄に迫った名演として大きな注目を集めた。
"シフがチャイコフスキーの協奏曲を弾く"というのは(私にとって)天と地がひっくり返るくらいの衝撃的ニュースなのである。彼の独墺系音楽の学究的な演奏、ベートーベンやバッハの演奏で垣間見られるドイツ・クラッシックの深みのある音。こんな人が19世紀後半のロシア音楽、しかもヴィルトゥオーソ的なショーピースを弾くことはほとんどの人にとって「想定外」の出来事ではないだろうか。
どんなに渋いチャイコフスキーだろうと思って聞いたら、意外と爽やかで、超絶技巧が遺憾なく発揮された絢爛豪華な演奏。シフのピアノは全体にわたってとても歯切れがよく、新鮮な煌きがあふれている。それは安易な名人芸ではなく、知的にコントロールされたフレージングや音色が魅力的な演奏である。同じくハンガリー出身の指揮者、ショルティが指揮するシカゴ交響楽団のパワフルで目が覚めるようなサウンドも印象的。
ケース裏に記されている第一楽章の演奏時間は"19:59"、比較的早いテンポであることが窺わせる。冒頭の変ロ長調の颯爽としたテンポは戦前のホロヴィッツとトスカニーニのスリリングな名演を髣髴とさせる。第二楽章、アンダンティーノ・センプリーチェは過度にロマンチックにならずに硬派な演奏。第三楽章冒頭では内声をさりげなく表面化させユーモアを感じさせる。
2012年6月24日日曜日
1942年3月 戦時のベートーベンの交響曲 第9番
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー VENEZIA V-1019
ここにある録音は1942の大戦下、ドイツでのライブ録音である。まず、当時としては世界最高レベルの録音技術。そしてドイツが誇るベルリンフィルハーモニーの輝かしい演奏。そして第4楽章のコーラスには当時ドイツでトップクラスのブルーノ・キッテルが率いる合唱団。そして今は無きベルリンフィルハーモニーホールの豊かな音響。録音から70年を過ぎた現在でもCDカタログから消えることがなく、現在一流の最新録音と並んで発売されている。
この演奏は大戦下の影響があってか全体にわたって一定の緊張感があり、冒頭の5度の和音による始まりは神秘的で美しい反面不吉な運命をも覗かせる。時にはやさしく、時には雷鳴のごとく力強いドラマティックな展開にたちまち心を奪われる。
この交響曲で一番好きなところは第3楽章、瞑想的な緩徐楽章(特に25小節目からのアンダンテ モデラートの部分)である。ニ長調からト長調そして変ホ長調へと情景が変化する様は昔懐かしいふるさとの風景を眺めているようで心地よい。旧友に再会したときのような温かいシーン(ニ長調の部分)から昔学校で友人と過ごした楽しく希望あふれるシーン(ト長調の部分)そして故郷を後にして上京時のような切ないシーン(変ホ長調の部分)。普段は仕事や雑事に追われて忙しく過ごしているんだけど、ある時ふと立ち止まって忘れかけていた昔を思い出すときに抱く感情に似ているような気がする。
これは指揮者、交響楽団、音響、コーラス、すべてが破格の内容のロングセラー盤だが、この録音にまつわる数奇な運命がこの演奏をさらに魅力的にしているのではないかと思う。
この録音は1942年3月22日~24の間に旧ドイツ帝国放送局により当時の最先端技術であるマグネットフォンテープに録音された。しかし、その録音テープは戦後、1945年ベルリンを占領したソ連軍が戦利品として押収したため、鉄のカーテンの向こう側へ消えた幻の記録となってしまった。
戦争が終結し20年ほどたったある日、ソ連を訪れたある旅行者によって数々の押収された録音がソ連国内で流通していることが発見された。そのニュースは西側諸国のフルトヴェングラー・ファンの関心を強くひき、一大センセーションを巻き起こした。しかし、これらのレコードはソ連国外への流通がされておらず、入手困難なレアアイテムとなって珍重されるようになった。
後に、熱烈なフルトヴェングラー・ファンの要望にこたえるため、1960年代の後半になってイギリスのハンター社(ユニコーン・レーベル)をはじめ数多くのレコード会社がそのソ連製レコードのコピーを西側で販売を始めた。このレコードはソ連の市販品コピーであり、音質にやや難があるにもかかわらずその演奏のすばらしさが知られるようになった。
そして、ソ連でペレストロイカが始まり、政治体制が民主的な方向へ変化し始めた1987年頃、ソ連から押収したテープのソ連国内放送用マスターからのコピーがドイツの放送局へ送られた。さらに体制崩壊の1991年になってようやく全押収テープがドイツへ返却された。これらのテープによって作成されたCDはこれまで西側流通していたコピーレコードよりも音質が格段に優れており、再びフルトヴェングラー・ファンの間でセンセーションを巻き起こした。
しかし、録音後半世紀も経過したテープは磁性の減衰やたわみなどの劣化がわずかながらに発生しており、コアなフルトヴェングラー・ファンはテープの状態が新鮮なときに音溝を刻み込まれた初期のソ連製レコードに着目し始めた。この初期盤レコードから復刻されたCDを聞くと、レコード特有のサーフェスノイズは若干あるものの、テープ特有の音のふらつきや音のこもりが無く、輝かしく重量感がある音がする。
この初期のソ連製レコードの探求にはさまざまな困難があったそうである。まず、旧ソ連国内でのレコード流通における情報が乏しく調査には困難を極めた。ようやく初期盤レコードが1950年代の後半に流通されたことがわかっても、状態の良い盤を見つけることはさぞかし大変なことだったであろう。また、1950年代の後半というとレコードの再生規格がまだ統一されておらず、状態が良いものが見つかったとしても正しい再生方法については手探りの状態であったそうである。
このCDは貴重な旧ソ連LP 、VSG盤(ガスト56相当、1956~60年製作)より復刻された。VSG盤とはソ連政府関係者向けに特別に製造されたものであり、当時一般向けに流通していた同レコードよりも希少であり、豪華なつくりになっているため音も良い。
このように奇跡的に発掘されたレコードから丁重に復刻された音に耳を傾けていると、長きに渡るフルトヴェングラー・ファンの情熱と探究心、そして戦後半世紀にわたるドイツやソ連の変遷、このすばらしい演奏を後世に残すべく努力したドイツの技術者やソ連のレコード会社、初期盤を発掘してすばらしい復刻をした日本の技術者の方々に敬意を表せずにはいられない。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー VENEZIA V-1019
ここにある録音は1942の大戦下、ドイツでのライブ録音である。まず、当時としては世界最高レベルの録音技術。そしてドイツが誇るベルリンフィルハーモニーの輝かしい演奏。そして第4楽章のコーラスには当時ドイツでトップクラスのブルーノ・キッテルが率いる合唱団。そして今は無きベルリンフィルハーモニーホールの豊かな音響。録音から70年を過ぎた現在でもCDカタログから消えることがなく、現在一流の最新録音と並んで発売されている。
この演奏は大戦下の影響があってか全体にわたって一定の緊張感があり、冒頭の5度の和音による始まりは神秘的で美しい反面不吉な運命をも覗かせる。時にはやさしく、時には雷鳴のごとく力強いドラマティックな展開にたちまち心を奪われる。
この交響曲で一番好きなところは第3楽章、瞑想的な緩徐楽章(特に25小節目からのアンダンテ モデラートの部分)である。ニ長調からト長調そして変ホ長調へと情景が変化する様は昔懐かしいふるさとの風景を眺めているようで心地よい。旧友に再会したときのような温かいシーン(ニ長調の部分)から昔学校で友人と過ごした楽しく希望あふれるシーン(ト長調の部分)そして故郷を後にして上京時のような切ないシーン(変ホ長調の部分)。普段は仕事や雑事に追われて忙しく過ごしているんだけど、ある時ふと立ち止まって忘れかけていた昔を思い出すときに抱く感情に似ているような気がする。
これは指揮者、交響楽団、音響、コーラス、すべてが破格の内容のロングセラー盤だが、この録音にまつわる数奇な運命がこの演奏をさらに魅力的にしているのではないかと思う。
この録音は1942年3月22日~24の間に旧ドイツ帝国放送局により当時の最先端技術であるマグネットフォンテープに録音された。しかし、その録音テープは戦後、1945年ベルリンを占領したソ連軍が戦利品として押収したため、鉄のカーテンの向こう側へ消えた幻の記録となってしまった。
戦争が終結し20年ほどたったある日、ソ連を訪れたある旅行者によって数々の押収された録音がソ連国内で流通していることが発見された。そのニュースは西側諸国のフルトヴェングラー・ファンの関心を強くひき、一大センセーションを巻き起こした。しかし、これらのレコードはソ連国外への流通がされておらず、入手困難なレアアイテムとなって珍重されるようになった。
後に、熱烈なフルトヴェングラー・ファンの要望にこたえるため、1960年代の後半になってイギリスのハンター社(ユニコーン・レーベル)をはじめ数多くのレコード会社がそのソ連製レコードのコピーを西側で販売を始めた。このレコードはソ連の市販品コピーであり、音質にやや難があるにもかかわらずその演奏のすばらしさが知られるようになった。
そして、ソ連でペレストロイカが始まり、政治体制が民主的な方向へ変化し始めた1987年頃、ソ連から押収したテープのソ連国内放送用マスターからのコピーがドイツの放送局へ送られた。さらに体制崩壊の1991年になってようやく全押収テープがドイツへ返却された。これらのテープによって作成されたCDはこれまで西側流通していたコピーレコードよりも音質が格段に優れており、再びフルトヴェングラー・ファンの間でセンセーションを巻き起こした。
しかし、録音後半世紀も経過したテープは磁性の減衰やたわみなどの劣化がわずかながらに発生しており、コアなフルトヴェングラー・ファンはテープの状態が新鮮なときに音溝を刻み込まれた初期のソ連製レコードに着目し始めた。この初期盤レコードから復刻されたCDを聞くと、レコード特有のサーフェスノイズは若干あるものの、テープ特有の音のふらつきや音のこもりが無く、輝かしく重量感がある音がする。
この初期のソ連製レコードの探求にはさまざまな困難があったそうである。まず、旧ソ連国内でのレコード流通における情報が乏しく調査には困難を極めた。ようやく初期盤レコードが1950年代の後半に流通されたことがわかっても、状態の良い盤を見つけることはさぞかし大変なことだったであろう。また、1950年代の後半というとレコードの再生規格がまだ統一されておらず、状態が良いものが見つかったとしても正しい再生方法については手探りの状態であったそうである。
このCDは貴重な旧ソ連LP 、VSG盤(ガスト56相当、1956~60年製作)より復刻された。VSG盤とはソ連政府関係者向けに特別に製造されたものであり、当時一般向けに流通していた同レコードよりも希少であり、豪華なつくりになっているため音も良い。
このように奇跡的に発掘されたレコードから丁重に復刻された音に耳を傾けていると、長きに渡るフルトヴェングラー・ファンの情熱と探究心、そして戦後半世紀にわたるドイツやソ連の変遷、このすばらしい演奏を後世に残すべく努力したドイツの技術者やソ連のレコード会社、初期盤を発掘してすばらしい復刻をした日本の技術者の方々に敬意を表せずにはいられない。
2012年6月17日日曜日
スヴャトスラフ・リヒテルが1970-1973年に録音した
「バッハ・平均率クラヴィーア曲集」 (GD 60949 RCA VICTOR)
バッハの音楽は神聖でなんとなく近寄りがたい思いがする一方、遠い昔、子供の頃母親に抱かれている時のような安堵をもたらしてくれることがある。何か具体的なメッセージのようなものは何も感じないんだけど、幼子イエスを見つめる聖母マリアの優しいまなざしのような安らぎや安心。リヒテルの演奏から特にそういったものを感じる。
この録音はリヒテルの全盛期である1970年代前半にオーストリア、ザルツブルグのクレスハイム宮殿で録音された。残響がとても長くピッチが若干高め。特殊な残響のせいか、音色はやわらかく、純度が高い。
スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter、1915-1997)ソビエト出身のピアニスト。1950年代は冷戦の影響で西側での演奏活動がずいぶん制限されたそうだが、1960年頃からソビエト国外での演奏活動や録音も活発になった。現在でも彼の膨大な数のCDが発売されているが、この「バッハ・平均率クラヴィーア曲集」は間違いなく彼の代表作であると思う。
先日98歳で亡くなった音楽評論家、吉田秀和さんの言葉を思い出す。「妻が亡くなった直後は何の音楽も聴く気になれなかった。感情に強く訴えかけてくる音楽から邪魔されずに自分の中に一人でいたいと思った。でもバッハは邪魔しなかったなぁ。」きっと、バッハの音楽には人類が絶えず求め続けている秩序や音楽といった存在を超越した理想郷、そして人間の心の奥深くにある核に直接通じる何かがあるんだと思う。
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